vol.137

「読んで学ぶ」立場と「作る」立場
一般社団法人日本図書教材協会副会長
川野辺 敏

 この頃暇な時間があると、妻に音読しながら共に楽しんでいる。高齢者であるため、手ごろな文庫本や新書などを買い求めて、手当たり次第読み漁るといった読み方で、ある程度読み終わると「我が家のベストスリー」などと、勝手に決めたりしている。ちなみに昨年あたりは、やはり「川端=千羽鶴、三島=豊饒の海、谷崎=春琴抄」などの作品を取り上げて喜んでいたり、翻訳ものではヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』やロジェ・マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人びと』などに、軍配を上げている。

 しかし、最近の新書棚を探してみても、どうも我が家の読み物としては触手が動かないものばかりなので、久しぶりに私の甥が寺の住職をしている関係もあり、彼に送ってもらった「宗教=法華経」関係の本を読み始めた。寺で耳にしているお経の内容を知りたい、という思いもあったからである。が、音読どころか一人で読みかえしても、仏教の思想や成立過程などは薄々理解できるが、こちらの願いには答えてくれない。たまたま新聞広告で『『法華経』日本語訳』(ひろさちや)という「法華経」の全文を書いた本があるというので注文したが、今度は文学書のように音読できるものであったが、結局何が書いてあるのか理解できない。難しさと易しさの差(音読の限界)が甚だしいというほかはない。

 そこで、教材の在り方をふと思い起した。生涯学習の時代であり、学習者は幼児から高齢者に至るまで、また、学習要求や内容も極めて多様である。教材を作成する側も、図書教材・視聴覚教材に加えて、デジタル教材など新しい教材が開発・普及してきている。学習対象に合わせ、理解しやすく質の高い「学習材」の作成が期待される時代に入ったといえる。難しい課題であるが、この難問に正面から立ち向かって頂くことを期待したい。

〜図書教材新報vol.137(平成28年9月発行)巻頭言より〜