vol.144

英語教育について
一般社団法人日本図書教材協会理事
星槎大学特任教授
新井 郁男

 小学校に英語が教科として導入されることになった。これについてはさまざまな論議があるところであるが、導入が決まった以上、どのように実施するかについて前向きに考えていかなくてはならないであろうが、英語教育に関連して、かねがね思案していたことがある。

 そのひとつは、英語と言っても、イギリスとアメリカでは表現のしかたが違うことが多く、言葉が同じでも意味が違う場合も多いというようなことを英語の授業のなかで、適宜に教えることが必要ではないかということである。さらに言えば、英語は英米だけでなく、その他の多くの国でも主要な言語として使われているが、表現、意味合いなどは必ずしも同じではない。そういうことを例をあげて説明することが重要だと思うが、これまでに見た英語の授業でこのような説明をしている場面に遭遇したことがない。

 もうひとつは、国語の教科書に出てくる外来語(カタカナ語)についてきちんと説明することの重要性である。野球の試合の場面の説明でクロス・プレーという言葉が出てきたとき、その意味について一人の児童が、塁上で野手とランナーの足が交差したと答えたところ、教師は「そうだね」とうなずいただけだった。

 また、街を歩いていると、「閉店している」をcloseと書いている店が非常に多いことにも驚くが、こんなことも子どもたちに気が付かせてほしい。

 これはほんの一例に過ぎないが、提起したいことは、以上に述べたようなことを教師が適切に指導するための教材を開発することである。

 最近、英語はEnglishではなくEnglishesだということがよく言われる。英語は英米だけでなく、インド、シンガポールなどにもあり、それぞれ違った表現があるということである。したがって、日本も、日本的な発想で英語の表現をつくっていくということも重要ではないかと思う。子どもたちに、そうした工夫をさせることもこれからの英語教育の重要な課題である。しかし、間違いは間違いとして訂正していかなくてはならないであろう。

〜図書教材新報vol.144(平成29年4月発行)巻頭言より〜