vol.173

清水さんとの別れを悼む
一般社団法人日本図書教材協会副会長
川野辺 敏

「令和」最初の電話は、日本教材学会事務局長からのもので、5月2日朝「清水さん」の急逝を告げられたものだった。平成最後の30日に亡くなったという知らせである。驚くのは私だけではあるまい。彼は私と同年配(1931年の早生まれ)であり、私が高齢者の故に会議や研究会等で沈黙しがちであったにも関わらず、清水さんは逝去の直前まで月に1度の割合で、広島県の福山まで新幹線で通い、東京では、教材学会会長として学会の発展に細かな配慮を行いつつ、私学関係・各種教育関係の理事会や会合に積極的に参加し、年齢など、どこ吹く風のように、活躍していたのであった。

顧みると、清水さんとの出会いは昭和40年代の終わりごろ、「全国教育研究所連盟=通称全教連」での会合であった。当時私は国立教育研究所の指導普及部長であり、全教連の世話役をしていたが、教育に関する研究が「国・都道府県・市町村」の国公立研究機関だけで行われていたことに疑問を持っていた。清水さんは民間の教育研究機関も積極的に参加させてほしい、と強く主張され、その後、民間教育研究機関の代表を全教連副会長に位置づけることになった経緯などが思い出される。

そのような関係があったためか、平成元年の[日本教材学会]の設立にあたっては、最初から学会に参加させて頂き、平成の30年間を、ご一緒に仕事を続けさせていただいたのである。

ご冥福を祈りながら、彼の築いた「平成時代」の土台を守りつつ、新しい「令和時代」の教材研究・発展に寄与することが、せめてもの、清水さんへの恩返しといえよう。

〜図書教材新報vol.173(令和元年9月発行)巻頭言より〜