vol.185

戦争体験の教材化を
一般社団法人日本図書教材協会副会長
星槎大学特任教授
新井 郁男

わたしはまだ少年であったが、さまざまな戦争体験の記憶がよみがえってくる今日このごろである。

東京の家の庭に掘った防空壕や押し入れに、空襲警報が鳴るたびに出たり入ったりしていた。夜に一万メートルを飛ぶB29に向かって打ち上げられる高射砲が届かずにゆらゆら落ちてくるのを見ながら、子どもなりに日本の戦力に疑問を抱いていた。また、逆に、真上で日本の戦闘機が真っ赤に燃えながら落ちていくところを見上げて見ていたこともある。空襲が終わってから庭や道路に落ちていたカラになった薬莢を今でも手元に置いてある。

空襲が激しくなり、終戦一年前の八月ごろから攻撃目標になりやすい都市部で縁故先への疎開をしない家庭の国民学校初等科=小学校の3年生以上の学童を集団で疎開させる集団学童疎開が始まり、わたしも行くことになった。東京の杉並区立第九国民学校に在籍しており、行先は今では観光地になっている長野県上田市(当時は丸子町)にある霊泉寺温泉という所であった。

疎開は終戦間近まで続いたが、私は母親が入院したことから中途で自宅に帰った。その後、父親の郷里である長野県の山村に疎開したのであるが、出発したのは東京大空襲があった昭和二十年三月十日であった。上野駅に長時間並び列車に乗れたのは真夜中であったが、東京を離れたあたりで空襲が始まった。列車はしばらく停車したが、車窓から焼夷弾がゆらゆらと落ちていくのが見えた。空は真っ赤であった。被災者は百万人を超えたのある。

以上は思いを剥いだ記憶のごく一端に過ぎないが、終戦から七十五年を経て記憶が風化しつつある今、さまざまな人の記憶を子どもたちに単なる歴史としてではなく、社会の在り方を考える教材・学習材として編成することも重要ではないかと考える。

〜図書教材新報vol.185(令和2年9月発行)巻頭言より〜