vol.242丸付けは授業リフレクション

第38期学校教材調査会理科専門委員
国士舘大学体育学部こどもスポーツ教育学科教授
喜名 朝博

 テストの丸付け(採点)は、教師の学級事務のひとつだ。子どもたちも「丸をもらう」と表現するように、「丸付け」は日本の学校教育の在り方を示している。丸をもらうことが子どもたちの学びの目標となり、教師も全員に丸を付けられることを目指してきた。この学校文化が正解主義を助長してきたことは否めない。正解主義は、子どもたちに正解はひとつであると思い込ませ、その正解を求めることが勉強であると信じさせてきてしまったのだ。
 単元の終わりなどに行われるテストは、正解することのみを目指すのではなく、何ができて何ができなかったのかを明確にするための手段である。丸をもらうことよりも、わからないことをあぶりだし、わかるようになることに価値がある。そこから次の学びが始まるとも言えるのだ。
 昨今、自動採点やCBTの登場により、教師はそんな丸付けから解放されつつある。瞬時に採点され、誤答分析も含めた統計処理をしてくれる。学校における働き方改革の一貫として、校務支援員に採点を委ねる学校もある。評価資料や学校の課題を見出すためには有効な手段であることは確かだ。しかし、本当にそれでいいのかと疑問を抱く。教師は丸付けをしながらその子の顔を思い浮かべる。文字の癖を直し、さらに「ここがわかっていないのか」「問題を最後まで読んでいないな」といった誤答分析をしてきたのだ。それが、次時の授業に生かされ、子どもたちへの助言につながっていった。この教師の営みはAIにはできない教師の専門性である。「丸付け」をしながら高度な誤答分析と授業改善への検討を同時に行っているのだ。
 「丸付け」を学級事務と考えず、自らの授業改善と子どもたちの確かな学力定着のための授業リフレクションと考えてはどうだろう。その意味でも評価教材の質が問われる。第38期の教材調査会でも、子どもたちと採点する教師の顔を思い浮かべながら検討を進めていきたい。

~図書教材新報vol.243(令和7年7月発行)巻頭言より~

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